「曽爾村で、お膳を食べる日。」

パンのこと

こんばんは。
奈良県の曽爾村で薪窯パン屋開業を目指す「なかしー」こと盛谷亜紀子と申します。
今日もブログを読んでくださり、ありがとうございます!

最近、ユンボを買いました。
まさか自分の人生でユンボを買う日が来るとは、そしてそれを運転する日が来るとは……。
ユンボに「ゆん坊」と名付けました。黄色い車体がかわいい子です。

さて、先日、とても心あたたまるイベントに参加させてもらったので、そのことについて書きたいと思います。

それは、「曽爾村で、お膳を食べる日。」です。

9月中旬から11月中旬まで曽爾村、御杖村、天川村で「MIND TRAIL 奥大和 心の中の美術館」というアートイベントが開催されており、その最終日のイベントとして行われたのが「曽爾村で、お膳を食べる日。」でした。

MIND TRAILの期間中、曽爾村で作品を展示されていたアーティストの前田エマさんの企画で、曽爾村で昔行われていた冠婚葬祭の料理を再現し、それを当時使われていたお膳で食べる、というもの。料理を再現するのは曽爾村のお母さん方です。

私がリノベーションしている家の屋根裏にもたくさんの漆器のセットが残されており、それがどのように使われていたのか知りたいというワクワクを抱えて当日を迎えました。

曽爾村で、お膳を食べる日。

イベントが始まるとまず、村のお母さんがお茶とお土産の干菓子(はくせんこう)を持ってきてくださいました。
「よくお越しくださいました」と、一人一人にお辞儀をしてお茶を運ぶお母さんたち。この段階で私はとても懐かしい感情になり、じーんとしていました。

そして、お膳が運ばれてきました。

この日再現されたのは結婚式のお食事。奇数が縁起が良いということで左上の炊き合せや中央の酢の物、右下のお吸い物は3つの材料が使われています。

写真には撮っていませんが、天ぷら、曽爾村名産の「こんにゃくいなりずし」、お漬物も振る舞われました。

「曽爾村では結婚式でこんな食事をしていたんだなあ」と思いながら、丁寧につくられたお料理をじっくりと味わいました。どれも美味しかったのですが、お膳の右上にある里芋のあんかけはおかわりしたいほどでした。

食事中、前田エマさんが曽爾村について語ってくださったところによると、

  • 伊勢湾台風で曽爾村に被害が出るまで、ほぼ自給自足でまかなえる村だった。伊勢湾台風の修復で橋などを工事する際に、外部の人だけでなく曽爾村の人も雇われ、そこで賃金が発生したことで、お金を使って何かを得るということが村人にとって普通になっていった。
  • 50年ほど前までは土葬の習慣があった。そしてそれは、亡くなった方の家の人がやるのではなく、地域の当番制だった。

とのこと。エマさんは「曽爾村は生と死が近くに感じられる暮らしをしていた村だと思う」というような表現をされていました。

謎の箱の正体

曽爾村で昔使われていた道具の説明もありました。それがこちら。私の家にも残っており、「このマトリョーシカみたいな箱、何に使っていたんだろう」とずっと疑問だった箱です。

エマさんが村の人に聞いたところによると、これはお赤飯を入れて配るための箱だったそう。箱にお赤飯を入れて、上にあるめん棒のようなもので平らにしていたそうです。大きさがいろいろあるのは、家庭によって渡すお赤飯の量が違うから。お赤飯をもらった人は、またこの箱を戻すという習慣だったようです。

感想

昔の人たちが使っていたお膳で、昔の人たちが食べていたものを食べる。

「タイムスリップしたみたい」というと、なんだか軽い感想になってしまうのですが、自分がこれから住もうとする村で、昔行われていたことを体験できて、とても感慨深いものがありました。

このイベントを企画された前田エマさんや、協力された村の方々に感謝です。

食後、村のお母さんがお膳を下げてくださいました。
私が「今度曽爾村に引っ越してくるんです。屋根裏に使い道のわからない箱があったんですが、今日、お赤飯の箱だとわかってよかったです。漆器もたくさん残っているんです」と言ったら、「普通は建替えの時とかに捨ててしまうので残っているのは珍しいですよ」と言われました。
「そうなんですね。大切にします」と答えると、「そうしてくださいね。いい人に村に引っ越してきてもらえて良かったわ」とお母さんに言われて、なんだか泣きそうになってしまいました。大切にします。漆器もお赤飯の箱も。

引き継いでいくこと

生活を便利にするための新しい技術は必要ですが、私は、昔から大切に受け継がれてきたものにとても惹かれます。「伝統」というほどのものでなくても、暮らしや地域の中で何十年、何百年と受け継がれているものを尊く感じます。そういうものを体験したり学んだりすると自分はずーっとつながる歴史の中のほんの一点であるような気持ちになり、自分もできることならば、なるべく受け継いでいきたいと思うのです。

パン作りにも同じことが言えます。ドリアン パンの学校の田村校長はよく「パンは、何千年も前からずっと作られ続けてきたもの。ヨーロッパの人たちがずっと作り続けてきたレシピに今更私たちが手を加えられることはほとんどない」と言われます。ずっと続いてきたということは、続いた理由があるということ。そんな昔ながらのパン作りを私もつなげていきたい。

0から1を産み出すことはできないかもしれないけど、1を1のままつなげていくような生き方をしたいな、と最近よく思います。

最後に改めて。「曽爾村で、お膳を食べる日」というイベントを企画してくださった、前田エマさん、曽爾村の方々、ありがとうございました。心にじわっとあたたかいもの広がっていく時間を過ごすことができました。私もこれから、曽爾村の一員として、昔の風習などを学び、引き継げることがあれば次につないでいきたいと思います。

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