ドリアンパン学校の東洋医学の授業で、老子の思想を学んでいる。
その中で印象に残った章2つ。
「老子3章」の私的まとめ。
- すべての人は優れているところと劣っている点を持っている。全てに優れている人はいない。
- 人の魅力は凹凸(優劣)。くぼんだところ(凹)はくぼんだままでよい。
- そのくぼんだところを、別の得意な人に補ってもらう。そうやって人との関わりが生まれる。
- 自分の短所を補ってもらうと感謝の気持ちが湧くし、逆に誰かの短所を補ってあげると自分がうれしい。偏りが中庸になると人は悦を感じる。
- くぼみは悦のフック。
- 群を抜いて何かに秀でている人は、群を抜いて人より足りないところがある。
- 凹があるから凸が生じる。
- 優が良くて、劣が悪いという認識を変える。老子の思想では劣の方が素晴らしい。人との調和のフックになるから。
「老子53章」の私的まとめ
- 中途半端な知識は逆に弊害が多い。狭く深く学んだ方が良い。
- 知らない部分は自分で極めようとするのではなく、すでに深めている人の力を借りる。その集まりが調和。
- 大道を選択して脇道に行かないように心がけなければいけない。
- 大道を歩くことが最も悦の状態で目的地に行くことができる。
- 悩み、不満、苦労が尽きないようであれば悦ではない=脇道を歩いている
- 脇道を歩いていることに気付いたら大道に戻ればよい。
この2章を学んだとき、さかなクンが思い浮かんだ。
はこフグをかぶっているあのさかなクン。
本人は意識されていないと思うけど、さかなクンは3章と53章を体現してくれている存在なのではないか、と。
そして、さかなクンをモデルにした映画「さかなのこ」を観た。
あたたかい映画。
「勉強ができなくても魚が好きで、魚の絵を描くこが好きであればそれでいい」というお母様の存在がさかなクンを作ったのだなあ。
突出した部分を自分の強みにすることの大切さ、凹んだ部分を誰かに補ってもらうことの大切さを学べた映画だった。
東洋医学の授業では、人生の目的は「悦」であり、「悦=スキップするような状態」というお話もあった。映画の中のさかなクンも、大好きな魚に関わっているとき、スキップしているような感じだった。
「今、スキップできてる?」を、自分に問いていきたい。
画像は、2012年に石川県ののとじま水族館でさかなクンのお話を聞いたときのものです。
コメント