自己紹介

パンのこと

いつもブログを読んでくださってありがとうございます。

いきなりですが、今までやろうやろうと思っていてできなかった自己紹介をしたいと思います。

    1979年岐阜県高山市生まれ

    高校まで高山で過ごしました。
    小さい頃は「からすのパンやさん」という絵本が大好き。
    今や全国的に有名な「トラン・ブルー」のパンも大好きで、特に「カナッペ」という棒状のパンは体調を崩しても「カナッペなら食べられる!」というほど大好きでした。

    大学〜20代は京都で。音楽との日々

    大学から京都へ。
    大学卒業後は大阪の旅行会社に7年勤務。
    京都が好きで離れられず、京都から大阪へ通っていました。

    大学生のときはパン屋でアルバイト。
    余ったパンを自由に持って帰れるパン屋で、家での食事を惣菜パンや菓子パンに置き換えたらブクブク……以下略。

    京都時代は、音楽(聴く方)に目覚め、
    磔磔や拾得などのライブハウスへ行くのをこよなく愛しておりました。
    今もサニーデイ・サービスやくるりなどが大好きです。

    学びの多い木工会社時代

    29歳のときに、実家に戻り、高山市内の木工会社で社長秘書、広報の仕事をしました。
    家具や建築の職人さん、設計士さん、営業の方々と働いたことで、ものづくりの素晴らしさ、大変さ、丁寧に仕事をする大切さなどを学びました。

    この会社で家具職人の夫と出会い、夫が独立したタイミングで結婚。
    奈良に引っ越しました。

    2014年 奈良へ〜転職〜初めての手術

    奈良に引越し後は、広報のアルバイトを経てランドセルメーカーで勤務。
    ちょうど「ラン活」という言葉が流行った頃で、良い経験、大変な経験がぎゅっと凝縮したような時期でした。

    35歳のとき、婦人科系の手術をし、このときから「食べるもの」の大切さを考えるようになりました。このときのことは、また改めて書きたいと思います。

    2018年曽爾村の古民家を紹介してもらう

    2018年に、夫の知人経由で曽爾村の古民家を紹介してもらいました。
    ちょうど、将来のことを考えていた時期でもあり、いつからか抱いていた「パン屋をやりたい」という夢をこの古民家で実現させようと決意。
    そして、この頃からいくつかのパン教室に通い、パン作りを学ぶようになります。

    2019年『捨てないパン屋』との出会い

    どんな働き方をしたいのか、どんなパン屋になりたいのか、悶々と考えているときに、偶然、市の図書館で見つけた本が『捨てないパン屋』でした。
    この本との出会いによって、その後の人生の角度が少しずつ変わっていった気がします。

    過去のブログにも書いていますのでよろしければご覧くださいませ。

    『捨てないパン屋』との出会い

    2022年ドリアンパン学校へ〜2023年会社を辞め、開業準備へ

    『捨てないパン屋』の著者である田村さんがパン学校を開校されるという記事を見て「ここに絶対入りたい!」と熱い想いを募らせる日々。そして2022年4月「ドリアンパン学校」に一期生として入学することができ、1年間、刺激的で濃厚な授業を受けることができました。
    そして、学びの中で、私のパン屋の方向性が決まりました。「酵母と乳酸菌で発酵させた昔ながらの製法でパンを作り薪窯で焼く」です。

    その後、2023年3月に8年間勤務したランドセルメーカーを退職し、本格的に開業準備を開始。今に至ります。

    以上!

    自己紹介というよりは、これまでの人生をご紹介するブログになっていまいました。。長い文章、最後まで読んでくださりありがとうございますm(_ _)m

    パン屋経験のない私が、薪窯を作り、そこでパンを焼き、販売するということは簡単ではないと思います。
    でも、一度きりの人生なのでチャレンジしたい。自分の力を使い切ってみたい。
    そう思っています。

    開業までの日々、開業してからもいろいろなことがあると思いますが、楽しんでやっていきたいと思います\(^o^)/

    屋号は「むらのパン もりたに」です。
    これから、どうぞよろしくお願いいたします。

    最後に、この文章を書いているとき、これまで出会った人たちの顔がどんどん思い浮かびました。一緒に働いた人、ライブに行った人、バスケをした人、キャンプした人、お酒を飲んだ人、勉強した人……。
    これまでありがとうございました。これからも、どうぞよろしくお願いいたします。